

起業から1年経たずして2名の起業メンバーが去り、代表取締役の私と取締役1名の計2名となりました。
なんとか毎月固定で定期的に発注を貰えるのクライアントやウェブ制作だけではなく月額料金の契約などもあり、当初ほどのペースで資金が減少しなくなったとは、言え苦しい状況であることには変わりませんでした。
完全に資金がショートする日がじりじりと迫ってきているのは明らかでした。
そしてついに最後の創業メンバーである取締役が会社を去ることになります。
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第4話【内紛】去っていく仲間たち
金太郎(自己破産経験者)借金返済追われながらも売上があがらない…そんな日々に限界がくるのでした。 くま吉(借金中)これから会社立ち上げようとしている人は必見ですね。 &nb ...
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ついに最後の仲間も去る
創業から1年が経過し、なんとか売上があがる月もありましたが厳しい状況は変わらずでした。徐々に資金が乏しくなり、この先1、2ヶ月でも売上が減れば資金がショートすることは目に見えてました。
そんな中最後の創業メンバーである元部下の取締役から辞任の申し出がきました。その頃には取締役とは毎日のように喧嘩・言い合いをし、お互いの心もすさんでおりまともに仕事ができる状況ではなかったのです。
辞任の申し出を受け取ります。すでに他の大手企業に転職が決まっているようでした。
最後の創業メンバーもまた創業のときに出資をしていたので、その分の株式を買い取る必要がありました。
株式を買い取るために私は限度額いっぱいまでキャッシングをし、それでも足りない分は自分の車を売却して株式買い戻し資金に当てました。車を売ってつくった金をそのまま取締役に渡したときは涙がこみ上げてきたのを覚えています。このころ完全に私自身はぶっ壊れておりました。
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結局、本当に意味でリスクを取ったのは代表取締役1名なのです。他の創業メンバーは出資した金額を退職時にそのまま返してもらっているのと、代表取締役名義で借り入れした借金で遅配することなく給与を払い続けていたのでたいしたリスクはなかったのです。
そして肩書だけは「ベンチャー企業の創業メンバー」ということで全員優良企業への転職をしました。結局、代表者私一人が逃げられない多額の借金を背負うことになったのです。
起業した時に、とある先輩社長に「仲の良いメンバーと一緒に起業するのはいいけれど、儲かったときには喧嘩になるから今のうちから気をつけておいたが方がいいよ。」なんてアドバイスを頂いておりましたが、儲かって喧嘩をしたかったです。
儲からないことが原因で心がすさみ、部下に当たり散らし、一人、また一人と会社を去り、ついに2006年春に私一人の会社になったのです。


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孤独の経営
私一人の孤独の経営がはじまります。元々代表取締役として孤独さは常々感じておりましたが、一人になったことでより孤独を感じるようになりました。
人間、誰にも評価されな事がこんなに辛いことだとは考えたこともありませんでした。サラリーマンの時は、良い仕事したら褒められる、失敗したら叱責されますがアドバイスも貰える、完了した業務に対して「よく出来たね」「ここはこう直したほうがいいよ」とアドバイスを貰えたり自分の仕事に対して評価を貰えます。
孤独の経営者は誰からも評価されません。褒めてくれる人もアドバイスしてくれる人もいません。誰にも評価をされず仕事を続けることがこれほどまでに辛い、ということをこの時はじめて知りました。
そして私に襲い掛かってきたのは孤独さだけではありませんでした。一人で負のオーラを発しながら経営していたせいもあり徐々に顧客も去っていきます。仕事が無くなっていくのです。
毎日夜うなされます。毎晩眠りにつくことが出来ず、やっと寝ても1、2時間経つと恐怖で飛び起きます。
目が覚める、ではなく「うああああああー!」と発狂とともに飛び起きるのです。
朝、歯を磨けばそのまま流し台に嘔吐し、髪の毛には白髪が増え、目の下のくまが濃くなり、まともな精神状況ではなくなっていきました。
「俺の人生は終わったな・・・」という言葉が毎時間のように頭に浮かんで来ました。
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借金取りからの取りて開始
そして、ついに借金の返済が出来なくなる時が来ました。法人として一番多く借りていた新銀行東京には事前に電話連絡をして返済リスケの依頼をしてました。しかし当時の新銀行東京もいっぱいいっぱいだったのでしょう。返済リスケ案には一切応じてもらえませんでした。「こちらは引き続き口座から引き落としをかけますよ。」という回答でした。
次に個人で借りまくっていた複数社に渡るキャッシング・カードローンも返済ができなくなります。
この頃には借金で借金を返していたため法人・個人合わせて1,000万円近い借金に膨らんでおりました。
携帯電話には金融会社からの着信が嵐のように来ます。これでもう仕事も出来なくなりました。元々この頃には仕事らしい仕事もありませんでしたが。
最後の取締役が辞めたときにオフィスは引き払っていたので都内の自宅にこもっておりました。毎日誰かが訪問してきます。玄関のチャイムを誰かが毎日鳴らします。怖くてドアスコープで覗くことも出来ず、布団をかぶって怯えておりました。
革靴の足音が聞こえ、部屋の前で立ち止まり誰かがチャイムを押すたびに心臓がバクバクなるのでした。
自ら人生を終わりにすることも頭をよぎります。そんな状況でも親に頼れなかったのです。
数年前、田舎で農業をやっている親の反対を押し切り「俺はおやじとは生き方が違うんだ!俺は俺のやり方で成功してみせる」と言い残し上京してきたまま数年間。こちらから連絡を拒否していたので今更頼れなかったのです。
ただ幸いにも「何かに負けたくない」という気持ちがわずかながら残っており、なんとか「人生を終わらせる」という選択をせずに住みました。
代わりに私は「逃げる」という道を選びました。
自宅の賃貸契約を解約し、部屋にあった売れるものをすべて売払い、なけなしの金をかき集め地方に逃走をします。


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会社を捨て逃走
会社のホームページや電話番号、登記をそのままにして地方へ逃げます。
とある地方都市で敷金・礼金を限りなく抑え保証人無しで借りれるボロアパートに逃げ込みます。私は2階に部屋を借りたのですが、1階の部屋はホームレスのような身なりの中年男性がゴミ溜めのような状態で住んでいて、何日も風呂に入ってないせいか、アパート中にものすごい異臭を発しているようなところです。
ここで仕事を探します。借金取りに追われている身でもあったので、普通の会社では働けそうにありませんでした。
そして昔はまがりなりにも大手企業で責任者として年収1,000万円近くもらい、その後起業して代表取締役まで努めた人間です。無名の中小企業で働きたくないという意味のないプライドもありました。
とりあえず知り合いに会うこと無く、更には履歴書もいらないような仕事でそこそこ収入がよい仕事を近く探していたら、キャバクラのボーイの求人がありました。
3年前は東京の大手企業で責任者として働き、毎晩のように六本木のクラブを飲み歩いていた男が、わずか3年後に多額の借金を背負い千葉県の地方都市でキャバクラのボーイの仕事を始めるのでした。


次回:第6話【逃走】逃亡生活その1:身を隠しキャバクラのボーイの仕事を始める
自己破産復活物語(全9話)
【必見】借金で苦しみ自己破産すべきかどうか悩んでいる人へ




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